虎になった男を描いた短編小説「山月記」は国語の教科書に頻出し、試験で出題されることも多いですよね。でも、難しい漢字や用語が多くって、内容が分かりにくい…。これを分かりやすくできないものか…?

 

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そこで物語を現代に置き換え、次のようにヴィジュアル化して分かりやすくしてみましたよ。これさえ読めば、問題もカンタンに解けるはず!。

 

■ヴィジュアル系教科書「山月記ゲンダイ」

 

 

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関西出身の長(ちょう)翔太は東大を昨年卒業し、国の財務省に勤めるエリート官僚だ。

(原文:隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられた)

 

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美しい妻とかわいい子供に恵まれ、何不自由なく暮らしていた。

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しかし彼は役所で働いてみて、あらためて本当にやりたい事がわかった。このまま役人として出世するよりも、学生の頃に目指していたプロミュージシャンになり、音楽で何か世界を変えられないかと夢みたのである。

 

(原文:自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとした)

 

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翔太は妻の反対を無視して役所を辞め、革ジャンとギターを持って外へ飛び出した。

 

 

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しかし彼の歌を聴くものは誰も無く、生活も苦しくなってきた。

 

(原文:しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる)

 

 

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ストレスで翔太の頭髪は後退した。

 

(原文:その容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々として、曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処に求めようもない)

 

 

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数年後、翔太は歌をあきらめ、再び役所にアルバイトとして雇ってもらった。

 

(原文:数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった)

 

 

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しかし、かつての同僚からこき使われるバイト仕事は、さらに彼のプライドと頭髪を傷つけた。

 

(原文:曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷けたかは、想像に難くない)

 

 

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やがて、役所から帰るとロックバンドのCDジャケットをじっと見つめながら、ブツブツと独り言をいう事が多くなった。

 

 

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翔太が見ているのは、頭がオオカミの人気バンド「MAN WITH A MISSION」だ。その奇抜な格好と、高い音楽性で一躍メジャーなアーティストとなった。

 

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ある日突然、彼は虎のマスクとギターを持ち、わけのわからないことを叫びながら家を飛び出した。必死で止めようとする妻と眠る子どもを残して。

 

(原文:遂に発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した)

 

 

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しかし、虎のマスクをかぶって歌ってみても、誰も聞こうとはしなかった。

 

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翔太はやがて「なぜ俺の歌を聞かないのだ」と通行人に絡むようになり、とうとう逮捕された。

(原文:己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない)

 

 

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翔太のたった一人の友人である遠藤が刑務所に面会に行くと、翔太は「誰も自分の歌を聴こうとしないので腹が立った。なぜ聴かないのか尋ねると『何かが足りない』といわれカッとなった」と話した。

(原文:袁さんは李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった)

 

 

続けて「遠藤、君なら俺の歌の良さが分かるのではないか? そうだ、即興で今歌ってみるから聞いてくれ」と言う。

 

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「俺はタイガー」作詞・作曲:長翔太

♪俺はタイガー 無敵のタイガー(今日爪牙誰敢敵)

たまたまなった俺タイガー(偶因狂疾成殊類)

いつかお前もなりタイカー(災患相仍不可逃)

 

俺は家無し刑務所暮らし(我為異物蓬茅下)

君はリーマン持家暮らし(君已乗軺気勢豪)

それでも俺らは友だちさ(当時声跡共相高)

 

さあ月に向かって歌おうぜ(此夕渓山対明月)

俺はタイガー なりタイカー(不成長嘯但成嘷)

 

遠藤は自分のことを歌ってくれたことに感動しながらも、漠然と次のように考えていた。なるほど、翔太の美声と歌唱の技術が一流であることは間違いない。ただ、一流の作品になるには、確かに何かが足りないのではないか、と。

(原文:袁傪は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか、と)

 

歌い終わると翔太は独白した。「神童の声高く東大に入り、エリートだった私は音楽でも一流になれるはずと信じ、師匠を持たずバンドも組まず一人で歌った。しかしそれは、プロの前で自分の実力がハッキリするのが怖いという、臆病な自尊心と尊大な羞恥心のためだった。そんな風に自分を特別だと思い過ぎた結果、音楽に行き詰まり、奇抜な虎の格好に走ってしまった」と。

 

(原文:郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ)

 

最後に翔太は泣きながら遠藤に懇願した。「私の妻に伝えてほしい。私のことは死んだと思って、どうか別の男と幸せになってほしいと。ああ!最初にこれをお願いするべきだったのだ。妻子よりも自分のことばかり歌っているから、誰も俺の歌を聞いてくれなかったのだ」(おわり)

 

(原文:一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。(中略)己は既に死んだと彼等に告げて貰えないだろうか。(中略)本当は、先、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ)

 

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「なるほど!自分を特別だと思う、大人の中二病の話だったのか」

 

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いかがでしたか?

これで試験対策はバッチリのはずですよ。

次回の「ヴィジュアル系教科書」もお楽しみに!

 

 

関連リンク

  • 山月記(青空文庫)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html

 

協力:森翔太

写真&文章:劇団Webライター

 

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ライター&モデル陣によるWebコンテンツの制作集団 → 最近の企画

gwebwriter@gmail.com

 

■おまけ(模範解答例)

 

試験では「なぜ主人公は虎になったのか、その理由を述べさない」といった問題がよく出題されます。ここでは、教師がバカな場合と賢い場合に分けて、模範解答例を紹介します。

 

【教師がバカな場合の解答例】

 

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」のためです。

 

と書いておきましょう。通常、「尊大」なのは自尊心、「臆病」なのは羞恥心のはずですが、山月記ではこれを反転させ、より深みを持たせています。そのようなレトリックが国語教師は大好きなのです。

 

 

【教師が賢い場合の解答例】

 

この場合は、上記の逆を言いましょう。

賢い人はなにかと逆説が好きだからです。

次が解答例です。

 

「なぜ主人公は虎になったのか?」という問いに対し、よくあるのが「臆病な自尊心と尊大な羞恥心のため」で、彼の詩には「愛情」が足らなかったと答えるものだ。ただ、名作「山月記」がそんなありきたりの教訓話なのだろうか?

 

実際、作者の中島敦の人生と照らし合わせれば、そんな単純な話ではないことが分かる。妻子を犠牲にして虎になったのは中島敦自身であり、誠実に答えるなら、虎になったのは「中島敦が作家になることを決断したから」が正解だろう。

 

なぜそう思うのか、これから説明したい。

 

もともと女学校の先生をしていた中島は、妻子もいるのに安定した生活を捨て、作家という非常に不安定な職業を決意し、書いたのがこの「山月記」である。

 

そして病症の身で作品に打ち込んだ結果、実際に妻子を残して33歳の若さで亡くなる。彼が永久的な名声を得たのは死後であり、生前は有望とはいえまだ新人作家にすぎなかった。

 

「自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ」山月記の虎のこの独白は、自らの死を予感していた中島の声そのものなのだ。

 

そもそも「自尊心」や「羞恥心」は誰でも持っているので、多少敏感だろうが大きな障害ではない。そして「愛情が足りない」というのもよくあることで、むしろ「俺は愛情いっぱいだ」と言う人の方があやしいだろう。むしろ彼に足りなかったのは、山月記の虎のように、あらゆる動物をかみ殺す、勝負の世界に生きるための非情さに踏み切る覚悟ではなかったか。

 

例えるなら、作家になるとは虎になることである。世間の人気という不安定なものを多数のライバルと奪い合うのだから不安も多い。そして作家になる覚悟を語ったのがこの作品であると、私は思う。作家は登場人物に自分を投影するが、中島の人生を見る限り、虎こそ中島自身である。妻子よりも作品を第一とし、作品が認められない絶望のなかで、死ぬこともかまわないと覚悟したのだ。

 

小説の最後、「(虎は)再びその姿を見なかった」という句からは、虎の強い意志を感じる。長年作家に専念するか悩んでいた中島敦はこの作品を経て、とうとう虎になったのだ。その後、勤めていた女学校に、彼はその姿を見せなかったのだろう。

 

だから「なぜ主人公は虎になったのか?」という問いに対し、私は「中島敦が作家になることを決断したからだ」と答えたい。